きゃばちょこ鉄道ライブラリー 2−1 私の愛する鉄道誌その1 「鉄道ジャーナル」 1、小学4年・亀岡文殊への旅 私は昭和40年小学4年の時に父と姉と3人で 山形県高畠町にある「亀岡文殊」へお参りに行きました。 その時、岩代飯野駅から松川まで川俣線に乗り、東北本線を福島へ 福島から奥羽本線で米沢に行き、バスで亀岡文殊をお参りをしました。 その旅行が鉄道を使って旅行した一番古い記憶です。 岩代飯野から松川へはC12牽く列車で、その思い出については、 きゃばちょこ鉄道ライブラリー 1 「思い出の川俣線」にて詳しく紹介。 東北本線は交流電化されており、真っ赤な電気機関車ED71牽引で福島へ。 福島からは、当時奥羽本線板谷峠は直流電化されており、 交直セクションの中山信号所まではD51牽引で、 中山信号所から先頭に茶色の電気機関車が2両つきました。 資料を見ると当時、福島第二機関区にはED16が配置されており、 茶色の電気機関車はこのED16であったと思います。 準急だったので、スイッチバックは通過して米沢まで行ったと記憶しています。 米沢からは、山形交通のバスで亀岡文殊まで行って同じ行程で帰ってきました。 いろいろな機関車に出会い、その一つ一つに魅力を感じ、鉄道の虜になりました。 2、小学6年・伊豆への旅 亀岡文殊お参りの経験から鉄道が大好きになりましたが、 小学生の身分でしたし、当時はそれ程裕福ではなかった我家では 子供が東京に連れて行ってもらえるのは、小学卒業後の春休みの時と決まっていました。 次に鉄道旅行したのは小学卒業の時の「伊豆大島&伊豆半島旅行」でした。 この伊豆旅行の時は、 福島から上野までは、急行「ざおう」に乗りましたが、 急行「ざおう」は大変混雑しており、座る事ができませんでした。 急行「ざおう」はキハ58系で、郡山で新潟からの「いいで」と連結しました。 急行「いいで」に空席があるという車内放送があり、 郡山を出発してまもなく「いいで」に移り、やっと座る事ができました。 その後は東京までの景色を楽しみながら行くことができました。 東京・竹芝桟橋から東海汽船で大島へ 大島で1泊後、やはり東海汽船で伊豆下田へ、 下加茂温泉へ1泊後バスで天城峠を通って修善寺へ 修善寺から伊豆箱根鉄道で大仁へ、1泊後 バスで伊東市へ。ここでも1泊後 伊東から153系急行「伊豆」で東京へ向かいました。 急行「伊豆」も大変混んでいましたが、大人の人が席を譲ってくれました。 東京からの帰りは455系急行「まつしま」 これは指定券を取ったので心配なく座ってこれました。 3、「鉄道ジャーナル」との出会い 伊豆への旅行で完全に鉄道の虜になりましたが、 中学時代は修学旅行ぐらいしか鉄道旅行はできませんでした。 私が16歳の高校入学直前の1971年(昭和46年)2月に、「鉄道ジャーナル」に出会います。 当時、日本の本線営業から蒸気機関車がまもなくなくなるという事で、 SLブームでしたが、私は何度か乗った急行や特急にむしろ興味を持っていました。 書店で何気なく見た雑誌「鉄道ジャーナル3月号・通巻47号」に 「板谷峠のEF64(P30)「485系やまびこ」「キハ181系つばさ」(P35)「583系はつかり」(P41) の写真が載っており、すぐに購入。その月から毎月買うようになりました。 50号の「鉄道ジャーナルの50号をふり返って」を読み、 発行済みのバックナンバーをできる限り取り寄せコレクションしました。 それでも手に入らない号は古本屋で探す日々になりました。 それでも全号揃うまでには大学になってまでの5年程かかりました。 創刊号〜29号あたりの1969年(昭和44年)ぐらいまでは、 多くを神田の古本屋で手に入れました。 特に「幻の…」とまで言われる 「創刊号〜3号」を見つけた時の感激は今でも鮮明に覚えています。 残念ながら24号・31号の「列車追跡シリーズ1・2」はとうとう見つける事ができませんでした。 今でもこの2冊が私の「鉄道ジャーナルライブラリー」の唯二の欠番になっております。 4、私と「鉄道ジャーナル」 「鉄道ジャーナル」は、竹島紀元編集長の考えの 「鉄道マニア的な知識や研究は不要」という 社会派鉄道誌を標榜しており、大変わかりやすい内容で、 「列車追跡シリーズ」に代表されるルポルタージュの充実や 壇上完爾氏作のドキュメント「桐と動輪」などの小説風の作品があったり、 読者の投書欄やクイズがあったりで、私にも大変好感がもてる内容でした。 鉄道ピクトリアルは専門過ぎて理解しずらかった事。 鉄道ファンは蒸気機関車に特化してるように当時は感じた事。 何よりも、お金がなかったことが原因ですが、そこまでは手が出ませんでした。 (鉄道ファンについては、興味がある特集の時は購入しました。 そして1975年(昭和50年)12月号通巻176号の 板谷峠&つばさの特集からは毎号購入しています。) (鉄道ファンについては別ページで掲載予定) それ以降は毎月「鉄道ジャーナル」「鉄道ファン」3か月毎に「旅と鉄道」 を買って読む生活が「旅と鉄道」休刊まで続きました。 5、私の人生と「鉄道ジャール」 「鉄道ジャーナル」を読み始めた1971年(昭和46年)11月号のRJニュースには 「川俣線の廃止について」の私の記事も掲載されました。 11月号には「旅と鉄道」創刊の案内もあり、「旅と鉄道」も買うこととなりました。 詳細は「きゃばちょこ鉄道ライブラリー 3 私の愛する鉄道誌その2、旅と鉄道」で。 その後、1号も欠けることなく、現在まで続いています。 下に 現在までの540冊あまりの中で印象深い誌面を何冊か紹介します。 今後も続きますので、今後も興味深く残そうと思う誌面はこれからも出会えることと思います。 私の人生はまさに「鉄道ジャーナル」の歴史とカブリます。 鉄道ジャーナルは常に私の傍にあり、 誌面で「鉄道ファンのモラル」について教えられたり、 「鉄道の知識」をそれはたくさん植え付けられました。それだけでなく、 列車追跡シリーズに見られる旅の楽しさもたくさん教えていただきました。 50代になって、多くの過去を振り返る事が多くなった中で、 私の人生は「鉄道ジャーナル」なしには語る事ができません。 それほど私の人生の大きな比重を占める雑誌になっているのです。 私の人生が閉じる時まで、私の傍らに「鉄道ジャーナル」は、ずっといてほしいものです。 |
創刊号から現在まで、印象深い誌面紹介 | |||
1、1967年(昭和42年) 「創刊号-通巻1号」 67鉄道車両新車年鑑 幻の創刊号 裏表紙が何ともユニーク。 |
2、1967年(昭和42年) 「7月号-通巻2号」 現代の動力車/ 列車運転のすべて 特急・さくら西へが秀作 |
3、1967年(昭和42年) 「11月号-通巻3号」 電化と消えゆくけむり 昼夜兼用特急583系誕生 C62ゆうづるの特集も |
4、1968年(昭和43年) 「9月号-通巻13号」 ‘43.10’めざして 東北本線全線複線電化 板谷峠直流→交流電化 |
5、1969年(昭和44年) 「3月号-通巻19号」 安全輸送/みちのくのSL 2011年・動態保存なった C6120の写真も掲載あり |
6、1970年(昭和45年) 「6月号増刊-通巻37号」 列車追跡シリーズ RJが得意とするルポを 1冊にまとめた第3巻 |
7、1971年(昭和46年) 「3月号-通巻47号」 45年の新車(国鉄編) /タンク機関車 私がRJをはじめて購入 |
8、1971年(昭和46年) 「5月号-通巻49号」 富士をめぐる鉄道 廣田尚敬撮影の表紙 福島機関区ED778 |
9.1971年(昭和46年) 「6月号-通巻50号」 輸送の24時間/ 旧型電機の魅力(国鉄EFクラス)50記念号 |
10、1971年(昭和46年) 「11月号-通巻55号」 老兵‘キューロク’を讃える 私の川俣線のニュース掲載 |
11、1972年(昭和47年) 「7月号-通巻63号」 日本の特急列車 グラビア特急の顔が勢揃い 出雲・瀬戸ストでチョンボ |
12、1973年 (昭和48年) 「5月号-通巻73号」 山を越える鉄道 天険‘板谷峠超えの基地’ 福島機関区特集あり |
13、1973年(昭和48年) 「7月号-通巻75号」 魅惑の‘ブルー・トレイン’ 青森〜鹿児島まで 多くのブルートレインがあり |
14、1975年(昭和50年) 「7月号-通巻100号」 日本の特急列車〈第1部〉 創刊100号記念特大号 全篇特急特集に |
15、1975年(昭和50年) 「12月号-通巻105号」 国鉄の新性能電車 奥羽本線の全線電化迫る キハ181つばさ惜別 |
16、1976年 (昭和51年) 「4月増刊-通巻110号」 蒸気機関車の最後 最後の旅客SL・C57135 現在は鉄道博物館へ |
17、1977年 (昭和52年) 「9月-通巻127号」 東北本線と東北新幹線 東北本線の特急群と 東北新幹線の進捗特集 |
18、1979年 (昭和54年) 「9月-通巻151号」 食堂車つき特急健在 夜汽車全廃はありえない 流れ星の様な表紙がgood |
19、1982年(昭和57年) 「5月号-通巻183号」 長距離ドン行列車の現状 今ではイベントでしか見ない、 旧型客車各駅停車・ドン行 |
20、1982年(昭和57年) 「9月号-通巻187号」 東北新幹線のすべて 新幹線大宮開業特集 200系と新幹線リレー号 |
21、1983年(昭和58年) 「10月号-通巻200号」 輸送の中枢車両基地 200の数字の形式・番等 200号をふり返る特集も |
22、1985年(昭和60年) 「6月号-通巻220号」 新幹線上野開業と特急列車・100系新幹線 新幹線上野乗り入れ |
23、1985年(昭和60年) 「12月号増刊-通巻227号」 ジュニア1・コンセプト 楽しみつつ鉄道を理解し その発展を考える |
24、1987年(昭和62年) 「6月号-通巻247号」 さらば国有鉄道JRの旅立ち 国鉄分割民営化の移行の 様子を克明に記録 |
25、1987年(昭和62年) 「8月号-通巻250号」 未来に羽ばたくJR東日本 創刊250号記念特大号 今はなき碓氷峠の景色 |
26、1988年(昭和63年) 「2月号-通巻256号」 近代輸送めざすJR貨物 /惜別!青函連絡船 青函連絡船廃止直前 |
27、1989年(平成元年) 「10月号-通巻276号」 ブルー・トレイン’89 大阪−札トワイライトエクスプレス ハイグレード夜行誕生 |
28、1991年(平成3年) 「2月号−通巻292号」 新時代の鉄道旅行をさぐる 400系の試作車登場 庭坂の大カーブを行く400系 |
29、1991年(平成3年) 「9月号-通巻299号」 東北新幹線東京駅開業 国鉄改革5年のあゆみ なつかしい200系H 編成 |
30、1991年(平成3年) 「10月号-通巻300号」 転換期のブルー・トレイン 創刊300号記念超特大号 多くの夜行特急危機に |
31、1992年(平成4年) 「6月号-通巻308号」 のぞみ誕生と JR3月ダイヤ改正 300系のぞみがスタート |
32、1992年(平成4年) 「9月号-通巻311号」 山を越える鉄道’92 山形新幹線つばさ運転開始 400系つばさがスタート |
33、1995年(平成7年) 「3月号-通巻341号」 東北本線 変貌する北の大動脈 ブルートレイン 〈はくつる〉復活 |
34、1996年(平成8年) 「10月号-通巻360号」 夜行列車の旅路’96 健在!星の寝台特急 夜行列車の低迷が課題に |
35、1998年(平成10年) 「1月号-通巻375号」 鉄道の未来をひらく 新幹線’98 0系からE4系へ |
36、1998年(平成10年) 「2月号-通巻376号」 新幹線’98 スピードアップの展望 500系のぞみがスタート |
37、1999年(平成11年) 「7月号-通巻393号」 新幹線の時代 21世紀へさらなる進化! 700系&E4系MAXがスタート |
38、1999年(平成11年) 「10月号-通巻396号」 寝台特急カシオペア CASSIOPEIA、汽車旅を 楽しむハイグレード夜行 |
39、1999年(平成11年) 「12月号-通巻398号」 鉄道の20世紀を顧る 20世紀最後のRJ つばさ…E3系主力に |
40、2000年(平成12年) 「2月号-通巻400号」 鉄道とテクノロジー 創刊400号記念超特大号 大きな記念特集はなし |
41、2003年(平成15年) 「3月号-通巻437号」 東北新幹線八戸開業と 12月ダイヤ改正 E2系はやてスタート |
42、2005年(平成17年) 「9月号-通巻467号」 列車編成と連結器 FASTECH360デビュー E5系に繋がる高速試験車 |
43、2006年(平成18年) 「2月号-通巻472号」 東北新幹線と 12月ダイヤ改正 充実の東北新幹線特集 |
44、2008年(平成20年) 「6月号-通巻500号」 JR新型車両競演 創刊500号記念特大号 500号をふり返る記事も |
45、2010年(平成22年) 「1月号-通巻519号」 2010年代の遠望 E5系いよいよデビュー この時はグランクラスはなし |
46、2011年(平成23年) 「3月号-通巻533号」 東北新幹線と青森の鉄道 はやて11号新青森へ 東北新幹線全線開業 E5系はやぶさの紹介も |
47、2011年(平成23年) 「5月号-通巻535号」 はやぶさ・さくら・みずほ 愛称物語 E5系はやぶさデビュー 6日後に東日本大震災発生 |
48、2011年(平成23年) 「9月号-通巻539号」 新幹線大集合 鹿児島中央〜新青森と つないで乗り比べ 大地震にも耐えた叡智 |
49、2012年(平成24年) 「7月号-通巻549号」 JR25周年、北斗星の軌跡 現存する定期ブルートレイン 「北斗星」「あけぼの」に 焦点をあて、寝台特急の JR25周年をふり返る。 |