Bトレインショーティーと写真でふり返ります。
2012年にバンダイから「Bトレインショーティー」の「キハ181板谷峠セットが発売になりました。
今までNゲージを含め、鉄道模型を買った事はありませんでしたが、
「キハ181の板谷峠バージョン」というのに触手が動かされ、思わず買ってしまいました。
この「Bトレ」が結構かわいらしくて大変気に入りました。
これを機会に私が乗車した中で今ではなくなってしまった列車を中心に
私が見てみたい〜と思っている列車等を再現出来たら…と思っています。
こちらに、Bトレで再現した列車を紹介します。
その列車の写真がある場合は、その写真も併せて紹介いたします。
Bトレで再現思い出の名車たち 11 「485系 ひばり」12両 1972年の「ひばり12両」です。 72年のひばり、上野方の1号車は、クロ481ですが、Bトレにはクロ481がない為、クハ481の車両にグリーン車のシールで代用しました。また、当時も混成はありましたが、一部AU13Eの冷房を装備した200番台もあります。 編成は、 上野←クロ481+モハ484+モハ485+モハ484+モハ485+サシ481 +モハ484+モハ485+サハ481+モハ484+モハ485+クハ481→仙台 |
1972年に「1016Mひばり8号」 を福島駅2番線の上野方で撮影したものです。 当時のクハ481はタイフォンのカバーがスカート部にありました。その後、ボンネットHMの下部に付け替えられました。 東日本の483・485系は登場時からクリームスカート&赤ひげになっており、485系では西日本も同じボンネット塗装になりました。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 10 「485系 みどり」11両 1972年(昭和47年)3月の新大阪発大分行き「1Mみどり11両」です。 クハ481は赤スカート車で、481系登場時に色分けされた姿を再現しました。 編成は、 大分←クハ481+モハ484+モハ485+サロ481+サロ481+サシ481 +モハ484+モハ485+モハ484+モハ485+クロ481→新大阪 Bトレでは、サロ481が1両しかない為、サハ481にグリーン車のシールを貼り代用しました。冷房も一部AU12ではなく、200番台以降のAU13Eの車両も混入しています。 。 |
1972年に大阪駅で撮影された「1Mみどり」赤スカート車です。 当時文通していた関西在住の同い年の方からいただいた写真です。 当時の「1M みどり」のダイヤは大阪8:25発大分17:53着です。 ボンネットタイプの485系はスカートは赤スカートのままでしたが、 当時クハ481には、登場時はなかった交直流車を表すHM上の「赤ひげ」が追加されています。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 9 「485系-200 ひばり」12両 昭和47年に485系は583系と前方形状が似た貫通型が登場しました。 編成は、 上野←クハ481+サロ481+モハ484+モハ485+モハ484+モハ485 +サシ481+モハ484+モハ485+モハ484+モハ485+クハ481→仙台。 前頭形状のHMは下の「はつかり」と反対に「300用ひばり」がなかった為、200番台の「ひばり」になっています。 |
1975年(昭和50年)10月13日に「1012M・ひばり6号上野行き」福島12:17発に乗車した時に撮影したものです。(福島駅2番線) この時は、485-300番台の非貫通型でした。 上野着は15:18で、上野まで3時間1分でした。 東北本線はその後、列車密度の多さから、線路のメンテナンスが問題になり、何度か工事運休を余儀なくされました。またパターンダイヤの導入で、20分程時間が延びて、上野までは3時間20分になりました。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 8 「485系-300 はつかり」12両 これは昭和49年から登場した非貫通型の300番台です。実際の写真は200番台の貫通型ですが、Bトレでは300番台の先頭形状を使って「はつかり」にしてしまいました。(HMシールに200用はつかりがなかった為) 当時の編成表を元に青森方を先頭に12両再現しました。 青森←クハ481+モハ485+モハ484+モハ485+モハ484+サシ481 +モハ485+モハ484+モハ485+モハ484+サロ481クハ481→上野。 |
1975年(昭和50年)2月5日に「23Mはつかり2号青森行」福島12:33発に乗車した時に撮影したものです。(福島駅3番線) この時の先頭車・12号車は200番台の貫通型でした。 初めて北海道に行った時の写真と特急券で、青森着は18:01で、青函連絡船27便、1217レ急行すずらん4号と乗り継いで札幌に翌日の6:10に到着しました。札幌まで17時間37分の行程でした。 2012年9月に同じ行程を札幌8時間5分ですので9時間32分の短縮で、半分以下になっています。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 7 「ED75-759牽引 試9542レ ELふくしま復興号」 旧型客車5両で運行されたふくしま復興号。 Bトレのスハフ42とオハ47で再現しました。 復興号にはオハフ32が入っていましたが、Bトレにはない為、 スハフ42で代用しています。Bトレのふくしま復興号編成は ED75-759+スハフ42+オハ47+オハ47+オハ47+スハフ42です。 |
試9542レ EL・SLふくしま復興号は ED75-759+オハフ32-2357+オハ47-2266+オハ47-2261+ オハ47-2246+スハフ42-2173+C6120 (客車は全て高崎車両センター所属)で運行されました。 ED75-759は仙台車両センター所属です。 Bトレでもオハフ32以外はほぼ再現する事ができました。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 6 「黒磯発一ノ関行 旧型客車10両 131列車」 30年代には東北本線には、上野発青森行き普通列車等がありましたが、40年代には次々に消えて行きました。50年代に入ると黒磯以南はすべて電車に代わってしまい、黒磯以北でないと客車の普通車列車は見れなくなってしまいました。 57年6月時刻表を見ると、長距離鈍行と言える列車は、 下り…福島発盛岡行1527レ、黒磯発一ノ関行131レ等 上り…盛岡発黒磯行1138レ、盛岡発郡山行538レ、青森発仙台行42レ等数本になっていました。 50年代の東北本線の普通列車は、ED71またはED75が牽引していました。 普通列車の編成はなかなか分からず、ネットを調べた所、 「客車列車の旅」http://homepage3.nifty.com/jnrpc/ に昭和55年4月1日の131レの編成が載っていました。 131レは昭和57年6月でも同じダイヤで運行されており、私の持っている時刻表で確認でき、Bトレ再現できる長大編成ということで、131レ10両を再現してみました。 東北線普通列車は40年〜50年代は茶色の旧客と青色の旧客が混成されていて、茶と青がランダムに編成されていました。 131レも同じように茶・青混成になっていました。 「客車列車の旅」によりますと、55年4月1日の編成は 「一ノ関←ED75・スハフ42(青)・スハ42(茶)・オハフ61(茶)・ スハ33(茶)・スハ43(茶)・スハ43(青)・オハフ33(茶)・オハフ33(青)・ オハ47(茶)・オハフ33(茶)→黒磯」です。 今回、色を中心に形式も含め再現した内容は、 「一ノ関←ED75・スハフ42(青)・オハ47(茶)・スハフ42(茶)・ スハ43(茶)・スハ43(茶)・スハ43(青)・スハフ42(茶)・スハフ42(青)・ オハ47(青)・スハフ42(茶)→黒磯」です。 形式は若干違うのと黒磯寄り2号車だけを茶→青に変更(茶の客車が6両しかないため)してあるのみで、出来るだけ忠実に再現しました。 131レは旧客10両編成という長大編成でしたが、現在福島近辺の普通電車は2両固定×2の4両が一般的になっており、かつての旧客長大編成は、今考えると非常に魅力的です。 |
昭和57年6月東北新幹線開業の時刻表。 昭和46年6月の交通公社時刻表の131列車のページ(P294)を掲載します。 時刻表を見ると、131レの福島駅は17:41着18:00発です。 14両の長大編成の1527レの福島15:18発も載っています。 当時私は特急・急行電車やSLなどばかり追いかけていた為、普通客車の写真は探したものの、まったくありませんでした。普通列車牽引のED7571を101Mいわて1号と一緒に撮った下の写真が普通列車を撮った唯一の写真です。客車を撮った写真は残念ながらありませんでした。 昭和47年の101Mの福島発が10:20ですが、このED7571牽引の列車番号や発時間は資料がなく、現状の中ではわかりません。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 5−1 「485系K-26編成 訓練車」 JRで訓練車として活躍し、現在「鉄道博物館」で展示されている485系訓練車です。HMは「訓練車」になっています。 先頭のクハ481-26+2号車モヤ484-2が博物館に保存されています。(モヤ484-2→モハ484-61に変更)。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 5−2 「485系K-26編成 訓練車…HMつばめ」 Jもう一方のエンドは「赤スカート車」なので、当時イベントで良く使われた、西日本の特急のHM「つばめ」にしました。 編成はつばめ←クハ481-17+モハ485-61+モヤ484-2+ クハ481-62→訓練車。 |
現在鉄道博物館に保存中のクハ481-62。 |
となりに急行用クモハ455-1が保存中。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 4 「455系S-1編成 訓練車」 唯一455系で丸型の大型ヘッドライトで残っていた為、鉄道博物館へ保存になりました。 クモハ455-1・モハ454-1・クヤ455-1の3両編成。 クヤ455-1は営業中はクハ455-203でした。 |
47年当時の455系急行福島10:18発101M「いわて1号」 455系急行は「いわて」「まつしま」「あづま」「ざおう」等が福島駅で見れました。ほとんどの電車が郡山上野間は「ばんだい」を連結し13両の長大編成でした。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 3−1 「583系寝台座席兼用特急電車 はつかり」 昭和47年(1972年)当時のはつかりを再現しました。 当時は堂々の13両編成です。13両すべて再現しました。 上野←クハネ583+サロ581+クハネ582+クハネ583+クハネ582+クハネ583 +サシ581+クハネ582+クハネ583+クハネ582+クハネ583+サハネ581 +クハネ583→青森 上野方1号車のヘッドマークは「はつかり」にしました。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 2−2 「583系寝台座席兼用特急電車 はくつる」 こちらは「はくつる」です。 「はくつる」も「はつかり」と共通運用ですので、 編成は全て同一です。 |
昭和47年の2021M青森行「はつかり1号」です。 わかりづらいですが、2号車はサロ581のグリーン車です。 |
こちらも2021M 青森行「はつかり1号」です。 |
松川駅を通過する2M上野行「はつかり1号」 |
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5時46分発上野行「はくつる」1番線に停車中。 |
昭和47年は札幌オリンピック開催。臨時「オリンピア」も運行。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 2−1 「ED75-1039+ED75-1020コンテナ列車」 東日本大震災で浜吉田-山下間にて津波に襲われ コンテナは流されたものの、その場に留まったED75-1039 その姿をBトレで再現してみました。 実際はありませんが、1020号機との重連にしてみました。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 2−2 「ED75-1039+ED75-1034コンテナ列車」「 こちらはJR貨物の赤ベコ重連 JR貨物はED75をアレンジした塗装にしていましたが、 この両機だけが、原色で残っていました。 1039は津波で廃車に、1034はEH500の進出で運用離脱。 |
Bトレで再現思い出の名車たち 1 「EF71補機+キハ181つばさ」 EF71+キハ181+キハ180+キロ180+キサシ180+キハ180+キハ181 実際はEF71とキハ11両になりますが、 セットはそこまで入っていないのでこの両数です。 |
「昭和51年福島駅…EF71牽引&つばさ下り1号・1D」 福島駅に1Dが到着するとすぐに 前方板谷峠方にEF71が連結されました。 |
「昭和51年福島駅・EF71と協調運転で福島出発」 EF71が先導しますが、キハ181も力行する「協調運転」で福島駅を出発します。 補機のない時は12両で運行されていましたが、補機がつく頃には予備車確保の為もあって11両に減車されました。 |
左の写真と別の日に撮ったものです。昭和51年の編成は、 キハ181+キハ180+キロ180+キサシ180+キハ180+キハ180+キハ181 +キハ181+キハ180+キハ180+キハ181 前補機EF71+キハ181-11両になります。 この日はキハ1801両減車で10両編成での運転でした。 この頃は181系のエンジン不調も多く減車が頻繁でした。 |